| 現在市内においては、後期旧石器時代から近代に至る遺跡が250か所確認されています。人々の生活の痕跡である遺跡は、白河の地域色あふれる歴史を今に伝えています。 縄文・弥生時代の遺跡からは出土した土器の形や文様の特徴、ほかの地域から持ち込まれた石材などにより関東や東北などの諸地域と活発に交流が行われていたことを知ることができます。 古墳時代には、五箇地区周辺に豪族居館跡や古墳などが集中し、当時白河地方一帯を治めていた豪族の拠点と考えられています。 奈良・平安時代には、古代白河郡の郡役所(泉崎村関和久遺跡)が設置されるなど、古代白河郡の中核として、この地域の重要性が引き継がれていきます。 中世には、中通り地方の八郡の地域にわたる軍事警察権を保持した有力な武士である白河結城氏が、白川城(搦目城)や白河城(小峰城)を本拠とし、政治・経済の中心が移行していきます。 近世に入り白河藩が成立すると、小峰城の大修築とともに城下町の整備が行われ、現在の白河市街地の基盤が形づくられました。 |
|
![]() 「一里団A遺跡出土石器」 県文化財センター白河館まほろんの敷地内で見付かった、今から約2万5千年〜3万年前の、後期旧石器時代の遺物です。 (写真提供:福島県文化財センター白河館) |
![]() 「高山遺跡出土土器」 新白河駅近くの高山遺跡で見つかった、今から 1万2千年前、土器の使用が始まったころの、 縄文時代でも最も古い時期の遺物です。 |
| (クリックすると拡大図) | (クリックすると拡大図) | |
![]() |
![]() |
| (分布図説明) 縄文時代は狩猟・採集を生産の中心として1万年の長きにわたり営まれ、遺跡は山間部の小河川沿いに至るまでほぼ均等に分布しています。 これに対し、生業の中心が稲作となった弥生時代以降、特に古墳時代の遺跡は、阿武隈川流域に開けた平野部の周辺に多く認められます。 奈良・平安時代には、開墾が進み、阿武隈川の支流の上流域へと遺跡の分布範囲が拡大しています。 中世には各地に山城が分布しています。確認されている中・近世の遺跡数が比較的少ないのは、当時の集落が現在の集落にほぼ重なるためと考えられます。 |
| 前ページへ |