歴史民俗資料館常設展示


古墳時代 ─ 地域の王から地方長官へ(前編) ─
 古墳時代(4〜7世紀)は、各地に有力者を埋葬した人工の丘である古墳が築かれた時代です。
 白河市においても、五箇地区を中心とした地域で、前方後円墳や円墳といった古墳が多く確認されています。
 古墳の分布状況を見ると、舟田から借宿・田島にかけて、前方後円墳である下総塚(しもふさづか)古墳を中心に愛宕塚古墳(借宿)、田島銀蔵古墳(田島)、舟田中道1号墳(舟田)などの円墳で古墳群を形成しています。また、舟田境遺跡(板橋と舟田の境界付近)の発掘調査においても、古墳群(円墳4基以上)の存在が確認されました。
 古墳の中でも注目されるのは、現在発掘調査を進めている下総塚古墳です。下総塚古墳は古墳時代後半(6世紀後半ごろ)の前方後円墳で、県南地方最大の規模を誇る古墳です。その年代や規模の大きさから、文献に記された白河国造(くにのみやつこ)の墓と考えられています。
 下総塚古墳に近接する舟田中道遺跡では、平成10年度の発掘調査で、6世紀後半〜7世紀前半ごろの豪族居館が発見されました。年代的に見て、下総塚古墳に葬られた国造の次代を担った人物の居館と考えられます。居館の発見で、この地域は白河国造の本拠地であったことが証明されました。
 次の奈良時代になると陸奥国(むつのくに)の南端に白河郡が置かれます。郡の中枢には役所や寺院が建てられますが、これらの跡は借宿から泉崎村にかけて確認されています。この地域が、引き続き次の時代も県南地方の中心地として、その役割を担っていたことを示しています。 





白河郡衙関連遺跡群
五箇地区の東部地域には、古墳時代後期から平安時代にかけての重要な遺跡が、半径2キロメートルほどの範囲に集中しています。古墳時代から平安時代にかけての、地方支配の変遷を良好に示す、全国屈指の遺跡群として注目を集めています。
平成17年7月14日、下総塚古墳・舟田中道遺跡・谷地久保古墳が『白河舟田・本沼遺跡群』として、国指定史跡に指定されました。
舟田中道遺跡・下総塚古墳(国指定史跡)
舟田中道遺跡で発見された豪族居館跡は、1辺70メートルの溝で土地を区画し、区画内には、柵列や竪穴住居跡、建物跡などが確認されました。

下総塚古墳出土盾形埴輪
上の写真は昭和7年の調査時に石室付近から出土した埴輪です。埴輪には、円筒埴輪と形象埴輪(家や武器、動物や人物などを表現した埴輪)に分類されますが、これは「盾」をかたどった形象埴輪の一部と考えられます。
下総塚古墳調査風景
上の写真は、岩越二郎氏による発掘調査(昭和7年)の風景を撮影したものです。大雨によって開口した横穴式石室を清掃し、石室の測量などが行われました。

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