| 古代史上、大きな転機となった大化の改新(645年)の後、中央集権国家を目指した政策が打ち出され、現在につながる行政組織の原形が作られます。各地に国・郡が置かれ、その中心地には政治を行う役所と、国家の繁栄を仏に祈るための寺院が建てられました。 東北地方の太平洋側には陸奥国が置かれ、本市は、陸奥国最大の郡であった古代白河郡に属していました。 白河郡の役所跡は、発掘調査で多量の瓦と倉庫跡が確認された関和久遺跡(泉崎村)と考えられ、郡の寺院跡は、せん仏などが出土した、借宿廃寺跡(借宿)と考えられます。 これらの遺跡は、市の東部地域を中心に分布していますが、この地域は白河国造の本拠地にあたることから、古墳時代に引き続き白河地方の中心としての役割を担ったことを示しています。 では、白河地方一帯を支配した白河国造はその後どうなったのでしょうか。文献資料と市東部の遺跡群から推測すると、新たに構築された行政機構の中で郡司となり、古代白河郡の政治をつかさどる中心的存在へと姿を変えていったと考えられます。 これまで見てきた遺跡群のほか、市内の奈良・平安時代の遺跡には、白河関跡や谷地久保古墳など、白河地方のみならず、わが国の古代史を考える上で重要な遺跡が数多く存在しています。 今後は、これら貴重な遺跡を後世に伝え、歴史を体感できる場として、復元・整備を進めて行く予定です。 |
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| 借宿廃寺跡出土軒丸瓦(県重要文化財) 借宿廃寺跡で出土する軒丸瓦は、蓮の花をデザインした文様が特徴で、まったく同じ文様を持つ瓦が、関和久遺跡でも見つかっています。 |
谷地久保古墳(本沼)(国指定史跡) 東日本では希少な、飛鳥地方の終末期古墳と共通する埋葬施設を持つ古墳です。役所や寺院に関係した、郡の重要人物の墓と考えられます。 |
白河関跡(旗宿)(国指定史跡) 白河関は、蝦夷の南下を防ぐため設置されたと考えられます。機能した時期は、文献の記載された年代や発掘調査の成果から、8〜9世紀ごろと考えられ、10世紀ごろには、その機能が失われたようです。 |
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