歴史民俗資料館常設展示


南北朝・室町時代 ─ 白河結城氏と中世の文化 ─

クリックすると拡大図  日本列島全体を争乱に巻き込んだ約60年間(1331〜92)にわたる南北朝内乱期を経て、白河結域氏は白河荘(白河市と西白河郡にほぼ相当)全体を掌握・領有しました。
 また、南朝後醍醐天皇・北朝足利尊氏の両政権から福島県中通り一帯の軍事警察権を行使する検断職に任じられました。
 特に、結域宗広は後醍醐天皇による南朝政権の基で勢力を伸ばし、その子息である結城親朝は足利尊氏による武家政権(北朝・室町幕府)への転身を図りました。そして検断職の職権を背景に室町時代には奥州南部から北関東にまで勢成を伸ばし、幕府や鎌倉公方から南奥の雄として認められていました。
 この間、白河結城氏は氏神である白河鹿島神社とその別当寺院である最勝寺(神仏習合)などに、武運長久を祈り、優れた多くの鋼造彫刻などの寄進を行っています。南北朝期から室町時代にかけて製作された最勝寺観音堂に伝来する「銅造十一面観音立像」と「銅造十一面立像懸仏」は、福島県内では一番規格の大きいものです。これらは、南奥の覇者であった結城氏の繁栄を確認することのできる貴重な文化遺産です。
 しかし、戦国期をむかえ一族の庶子である小峰氏との対立抗争により徐々に勢威を失い、常陸佐竹氏・会津葦名氏・伊達氏などに服属するようになり、天正18年(1590)には豊臣秀吉による「奥羽仕置」によって、約400年にわたる結城氏による白河地方の支配は幕を閉じました。

結城宗広肖像
結城宗広肖像(関川寺蔵)
白河結城氏の発展の基礎を築いた武将。新田義貞らと共に鎌倉幕府を攻め、建武新政府の重鎮として活躍しました。
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銅造十一面観音懸仏
銅造十一面観音懸仏
(鹿島神社旧最勝寺伝来龍蔵寺管理)
南北朝時代に製作されたもので、鏡板径が104センチメートルと県内で最大の懸仏です。懸仏は神仏習合の思想が最もよく表された造形といわれています。
銅造十一面観音立像
銅造十一面観音立像
(鹿島神社旧最勝寺伝来龍蔵寺管理)

室町時代の作で、頭部から両足まで銅造一鋳造のものに左右の腕がつなぎ合わされています。像高81センチメートルは、県内に残る銅造彫刻としては最大のものです。

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