8| 《白河藩の立藩》 天正18年(1590)の豊臣秀吉(とよとみひでよし)による「奥羽仕置(おううしおき)」によって白河結城氏が改易(かいえき・領地没収)となって以降、白河地方は会津藩領となり蒲生氏郷(がもううじさと)と上杉景勝(うえすぎかげかつ)の支配を受けていました。 江戸幕府二代将軍秀忠の時代の寛永4年(1627)に丹羽長重(にわながしげ)が初代白河藩主として棚倉から入封(にゅうふう)し、10万700石を領し、ここに白河藩がはじめて立藩しました。 初期の白河藩領は、西白河郡・石川郡・岩瀬郡・田村郡にわたる一円的なものでしたが、中期以降になると飛領と呼ばれる遠隔所領(新潟・長野県など)の比重が多くなっていきます。白河藩大名は、丹羽氏・榊原(さかきばら)氏・本多(ほんだ)氏・奥平(おくだいら)氏・結城(ゆうき)氏・久松(ひさまつ)氏・阿部(あべ)氏など7家21代の変遷があり、様々な藩政が展開されました。 |
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| 《小峰城の築城》 白河藩の立藩と同時に小峰城は、伊達(だて)氏や上杉氏など東北の外様大名から、江戸城(関東)を防備する一環として築城されました。幕藩体制の確立期に丹羽長重が幕府の命を受けて、石垣と櫓(やぐら)を有する近世城郭に大修築したのです。また、この時に城下町も一体的に整備されました。 城郭の縄張りは、阿武隈川を北側にして、やや不整形な五角形を呈した※梯郭式平山城(ていかくしきひらやまじろ)と呼ばれる形式の城郭です。北側の丘陵頂上部に城郭の中枢となる本丸とこれを取り囲む帯郭(おびくるわ)を設け、その東南に二の丸・三の丸を配し、周囲には水堀と石垣をめぐらして防備しています。城郭への入り口は南側中町口に大手門、北側に尾廻門(おまわし)、東に横町・田町門、西に道場・会津門が設置されていました。小峰城は240年間にわたり、白河藩政の拠点として、戊辰戦争で焼失するまで存続しました。 ※梯郭式…本丸を頂点に、郭の配置を梯子(はしご)状に重ねていく形式 平山械…20〜100メートルほどの丘陵に築かれ、周囲の平地を取り入れた城 |
| 櫓(やぐら)の配置と名称 (クリックすると拡大図) | 寛永年間白河藩領図 (クリックすると拡大図) |
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