歴史民俗資料館常設展示
白河の歴史と文化

江戸時代2 ─ 松平定信の白河藩政と文化事業 ─

松平定信肖像
松平定信肖像
(部分・福島県立博物館所蔵)
宝暦8(1759)〜文政12(1829)
 7家21代もの変遷があった白河藩の大名の中で、特に白河の地に大きな功績を遺したのが、松平定信です。
 定信は、宝暦8年(1758)に御三卿田安宗武(たやすむねたけ)の七男として生まれ、17歳のとき白河藩松平家の養子となり、天明3年(1783)に、白河藩の家督を継いでいます。
 天明3年から7年まで続いた「天明の大飢饉(ききん)」における対策の成功などから、天明7年、定信は30歳で幕府老中に抜擢(ばってき)され、11代将軍家斉(いえなり)を補佐し、「寛政の改革」を断行しました。この名君・定信は寛政5年(1793)に老中を退くと、白河藩政に専念し、数々の政策を打ち立てました。

≪主な白河藩政≫
 農村を復興させるため、まず労働力の確保を第一と考え、当時この地方にあった悪習※「間引き」の防止に力を入れ、補助金を与えて出生率を高め、また越後から女性を移住させて、婚姻させました。
 また、さまざまな商業を盛んにするため、陶器・織物・鍛冶・ガラス・漆工・酒・茶・紙などそれぞれの専門家を白河に招いたり、職人を修行させるなどして、殖産興業の振興を図りました。
 さらに、藩士の子息に文武両道を学ばせる藩校「立教館」と庶民の読書・手習い・算術を学ばせる教育機関「敷教舎(ふきょうしや)」を白河と須賀川に設立するなど教育にも力を入れました。
≪主な文化事業≫
定信は和歌や絵画のほか、茶道・雅楽・国学・蘭学など、あらゆる文化芸術面に秀でた一流の文化人としても知られています。
 日本で初めて古物についての価値を見いだし、全国の書物を調査して日本最初の文化財図録「集古十種」85巻を編さんしています。
 また、白河では、当時埋没していた「白河関跡」をさまざまな調査をもとに、現在の場所に断定したり、日本で初めての四民共楽の公園「南湖」を造園しました。
 定信による的確な状況判断のもと行われた藩政と先駆的な文化事業は、現在も高い評価を得ています。

※間引き…ロベらしのため、出産後すぐに子を殺すこと
受苦図
受苦図 (常宣寺所蔵)
間引きをした者が、死後に地獄で苦しむ様が描かれる

集古十種
集古十種
(福島県立図書館所蔵)



硯屏 古関蹟碑
硯屏(けんびょう)
(白桜文庫所蔵14.1×17.4センチメートル)
硯(すずり)のそばに立てて、ほこりなどを防ぐ小さいついたて。定信の命を受け京都で陶器製作の修行をした桜町の瓦師小林覚左衛門が製作した。
古関蹟碑(旗宿)
当時は所在不明であった「白河の関」を地形や文献などから現在の位置に断定し、この碑を建てた



前ページへ