![]() |
この打掛は、白河市白坂境の明神の石井家に伝来したものです。 石井家は、江戸時代頃までこの地で茶屋を営んでおり、奥羽や越後の大名は参勤交代の折り、境の明神に参拝し、この茶屋で休憩していました。そのようなことから、石井家には南部藩や仙台藩から拝領した品々が残されています。 この打掛は、その形態や文様から江戸時代後期に使用された、南部藩、仙台藩のいずれかの大名の息女が着用したものと考えられます。 地色は朱色に染められ、帽子絞りや鹿子絞りで染め抜かれた箇所には、花弁や葉脈などが彩色されています。その上に金、淡紅、白、橙色の糸で花弁が、緑、萌黄色の糸で葉が刺繍され、ところどころに金、紫糸で地紋と同様の紗綾形の刺繍が施されています。 美しく彩られた梅、牡丹、藤、葵、菊の花々は、黒糸と金糸、緑糸と金糸で刺繍した綱で束ねられた図様になっています。 現在のこの打掛の形態は、小袖となっていますが、袖の下部の文様や刺繍の図柄が脈絡もなく途切れていることから、元来は振袖として仕立てられたものを、仕立て直しつめたものと考えられます。 |