
| このシリーズでは、平成11年5月22日より6月20日まで開催した 特別展「白河を駆け抜けた作家たち」で展示した作品を紹介しています。 |
![]() 大正14年(1925) 油彩・キャンバス 45.6×38.2cm 白河歴史民俗資料館蔵 (奥村ヨシ氏寄贈品) |
−長谷部英一(はせべ えいいち)−(1895〜1927) 長谷部英一は、明治28年(1895)、洋傘問屋や貿易業を営む 長谷部鉄之助の長男として、東京日本橋に生まれました。 17歳のころまで裕福な環境に育ちますが、父の事業の失敗により 家族は父の郷里である白河に転居し、英一1人が東京に残りました。 そのころ、天才洋画家として脚光を浴びつつあった中村 彝(つね) に出会い、本格的に洋画を学んでいます。 英一は、レンブラントやセザンヌ、ルノアール、ゴッホに影響を 受ける中村に傾倒、模倣し、技術を学んでいきます。 大正4年(1915)には、レンブラント風の「自画像」(笠間日動 美術館蔵)が、文部省展覧会に入選し、将来を期待されました。 しかし不運なことに、このころより結核を患い、貧困と病に苦しみ 療養を兼ねてたびたび白河を訪れては市内の素封家・伊藤隆三郎の 世話になり、数多くの作品を描いています。 今回紹介する作品は、父・鉄之助が亡くなった大正14年に、その 遺影として描かれたものです。それまでの英一の画風とは違い、 全体的に簡略化された伸びやかな太い筆致ながら、丁寧な色使いに より顔の表情をよくとらえて描いています。この画風の変化は、前年 の中村の死が影響しており、この後の作品も、色調、筆致、モチーフ などすべてに変化を見せ、英一独自の画風が形成されようとしていました。 しかし、残念なことに、昭和2年に結核が悪化し、32歳という若さで 亡くなっています。 たった一度の展覧会入賞ではありましたが、数少ない英一の油彩や デッサンには、独自の世界を切り開こうとした大正期の一画家の確かな 足跡がうかがえます。 ※素封家・・・資産家・財産家・金持ちなどをいう。 〜歴史民俗資料館学芸員 加藤純子 |