シリーズ7
安永6年(1777) 85.5cmX63.0cm 竹内孝吉氏所蔵 |
南湖は、葦茅(あしかや)の生い茂る湿地帯を浚渫(しゅんせつ)と築堤などの土木工事、松・桜・紅葉などの植栽工事をもって、今から200年前の享和元年(1801)に完成した「日本最初の公園」です。その造園は、当時の士農工商の四民が楽しむことを目的としたものでした。日本に公園制度が導入されたのは、明治6年(1873)の太政官(だじょうかん)布告以来のことですから、南湖の造営はそれより約70年前にさかのぼります。 さて今回紹介する資料は、その南湖が開発される23年前の南湖周辺を描いた絵図です。白河城下天神町の大庄屋藤田孫十郎(まごじゅうろう)がこの鬼越の地に新田開発の計画を立て、白河藩に許可を願い出た際に提出された絵図の控えです。 絵図の上部に「白坂道」と記されているのは、当時の奥州街道で現在の南湖上流部(西側)を通る国道294号です。その下側の左右に描かれるのは、左側が小丸山から鬼越・地下(小鹿山)付近の丘陵、右側は三本松から南湖(鏡山・月待山)にかけた丘陵地です。この丘陵の間に挟まれた河川の両側に薄茶色で彩色された地帯が当時「谷地」と呼ばれていた湿地帯です。この湿地帯が一番狭くなる下流の地(絵図上の「地下浦」と記された付近)に堤を築いて水をせき止め、湖「南湖」を現出させたのです。 ちょうどこの付近は、「鏡の山」・「月待山」・「小鹿山」などの丘陵に囲まれた地で、湖を現出させると風光明媚(めいび)な地となる場所です。おそらく、定信は何回かの現地視察を経て、現在見られるような南湖の開発を指揮したのではないかと考えられます。 教育委員会文化課学芸員 佐川庄司 |