シリーズ7![]() 桜町天皇裏筆和歌懐紙〜江戸時代 詠菊花宴久〜和歌 けふことにつきせぬ 菊のさかつきにかね てちとせの秋もく みしる ![]() 徳大寺公純和歌懐紙〜江戸時代 梅移水〜和歌〜右大臣公純 咲梅のはなも うつりて遣水の あたり長閑に遊 ふ友鶴 |
− 「和歌懐紙(わかかいし)」 − 江戸時代の大名は、一般的に武家的な面と公家的な面の両様の素養を身に付けることが求められ、和歌をたしなむことは重要な公家的素養でした。阿部家の伝来品にも歴代当主や夫人などの詠歌が伝来していますが、今回は特に天皇と公家の和歌懐紙を紹介します。 桜町(さくらまち)天皇(1720〜50)宸筆(しんぴつ)和歌懐紙(かいし)は、阿部家六代正允(まさちか)が京都所司代(しょしだい)在職中に当時の女帝後桜町天皇より拝領したものです。桜町天皇は、歌道にも優れ多くの歌集を残しています。この和歌懐紙は、天皇が宮中の年中行事の一つである重陽節会(ちょうようのせちえ)(旧暦9月9日)の宴の際に詠んだ御製と思われます。一行目から二行目に「詠菊花の宴久和歌」(きっかのうたげひさしきということを詠めるわか)と詠題を記し、その後に和歌が三行と三文字で書かれています。 次に徳大寺公純(きんいと)(1821〜83)和歌懐紙です。徳大寺家は、京の公家の中でも摂関家(せっかんけ)に次ぐ清華家(せいがけ)という家格で、公純は、阿部家十八代当主正功(まさこと)夫人照姫の実父です(明治・大正期に総理大臣を務めた西園寺公望(さいおんじきんもち)は照姫の実兄)。和歌懐紙は、天皇の書式とほぼ同様に書かれていますが、天皇の無署名に対し三行目に公純の官職(右大臣)と名前が記載される違いがあります。これは、和歌懐紙が身分や格式により書式が決められていたことによるものです。 これら、天皇や公家の和歌懐紙の伝来は、幕府老中を数多く輩出させた阿部家の家格を示すものといえます。 〜歴史民俗資料館学芸員 佐川庄司〜 |