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| 阿部忠秋を藩祖とする白河藩主阿部家は、宗家である備後福山藩主阿部家と並んで、代々幕閣に重きをなした代表的な譜代大名である。 阿部家は三河以来徳川氏に属し忠吉の子忠秋の代に大名となった。忠秋は幼時から3代将軍家光に仕え、幕府老中を務め寛永12年(1635年)下野壬生城主2万5千石となり、同16年松平信綱の後をうけて武蔵国忍(5万石、後8万石さらに10万石)へ転じた。以来184年間阿部氏はここに在城し、忠吉から10代目にあたる正権の時、文政6年(1823年)に松平定永の後をうけて、白河藩主となった。さらに正権から8代を経た17代正静の時、慶応2年(1866年)棚倉に転封を命じられ、ここで明治維新を迎えた。この間、忠秋・正能・正武・正喬・正允・正外の6人が幕府老中となっている。 |