鎌倉時代後期、下総国結城を本拠とする結城氏の庶流である結城祐広が白河庄に移住して白河結城氏が創設された。祐広の子宗広は建武奥州府の式評定衆として重きをなし、後醍醐天皇より結城氏の惣領と認められた。親朝の時代に南朝より北朝に転じた白河結城氏は、室町時代にその最盛期を迎え、北関東から南奥州にかけて勢威を張った。しかし、戦国時代に至り勢威が衰え、天正18年(1590年)奥羽仕置きにより改易となった。
 この間に白河結城氏が相伝した文書群は天正年間(1573〜1591年)に小峰家などの文書と混入・分流して江戸時代には秋田白川家・仙台白河家などに分散相伝された。結城家古文書館で保管・展示する文書は秋田白川家(現結城家)に伝えられた文書群である。 

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